巻頭言
佐伯啓思の


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佐伯啓思氏
(京都大学名誉教授)





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「近代社会」の限界に立ち会って

 この「巻頭言」を書く機会を得てからかなりたつ。今回でひと区切りにしたいと思うが、私が繰り返し書いてきたことは次のようなことだった。
 今日、世界は、その秩序を保つ思想的な軸も確かな方向性も見失い、その結果としてただグローバルな経済競争や資源と市場をめぐる大国の力の対決の場へと変質している。この不安定化する世界にあって、日本の立場はどうあるべきか。いくつかの考え方はあるものの、私は、今日の日本は、過度なグローバル競争や大国間の成長競争、市場獲得競争に邁進するのではなく、国内での資本の循環を確保しつつ、社会の安定を図るべきであると考える。端的にいえば、「グローバリズム」「成長主義」「金融中心経済」「イノベーション戦略」といった、今日の政府が主導し、多くのエコノミストが推奨する方向に異を唱えてきた。
 それは次のように思うからである。人口減少・高齢化社会に突入し、いわば成熟経済に入ったわが国は、中国をはじめとする大国や新興国との成長競争を過度に意識すれば、それはますます国内経済を不安定化し、人々の社会生活を脅かすであろう。それよりも、脱成長主義へと舵を取って、その条件のもとでの長期的な経済社会の展望を描くべきである、と思うのである。
 実際、いま世界は急激な変化にさらされている。少し前なら想像もできなかった米朝首脳会談がなされ、一応、朝鮮半島の非核化の方向が合意された。ただ、この合意が可能となったのは、米国のトランプ大統領と北朝鮮の金正恩委員長というあまりに特異な指導者がいたからで、同時にまた、この2人の人格の特異性のゆえに、この合意の実質内容も、実効性も信用できないのである。
 差し当たり東アジアから戦争の危機は遠のいたように見えるものの、それはあくまで表層であって、確かなことは、情勢はきわめて流動化し、依然として東アジアは大きな不確定性に囲まれている、ということである。この不確定性の背後に、北朝鮮に対して圧倒的な影響力をもつ中国があり、アジア地域への関与に関して何らの方針も示せない行き当たりばったりの米国があり、さらには、強権的なプーチン大統領のロシアがある。中国はまた、一帯一路政策や新シルクロード構想でユーラシア大陸全体に影響力を及ぼしつつあるだけではなく、アフリカにも資金と人材を投入することで事実上、この地域の属国化を図っている。
 今日、この不確定で不安定な世界をまとめる思想的な、もしくは価値的な原理はもはやなくなっている。グローバルな自由主義もうまくいかず、かといってトランプのような一方的な保護主義も秩序原理にはならず、経済競争やイノベーションは、一時的には将来への期待を掻き立てるものの、やがては、所得格差や雇用の不安定をもたらす。そこに移民が拍車をかける。こうして民主主義的な政治さえも不安定化する。これが現状であろう。
 この事態をもっと大きく言えば、もはや、自由競争や民主政治、グローバリズムや科学的イノベーションによる経済成長が人々を幸福にできる、という近代主義そのものが限界に達している、ということになろう。近代社会は、われわれの留まるところを知らない欲望の増大によって発展してきた。「より多く」「より高く」「より速く」「より便利に」という価値がわれわれを捉えてきた。しかし、われわれは、その意味では一応、かなりの段階に到達している。もしも、この「無限の拡張」を求めるわれわれの欲望が、経済のその本来の意味である「経世済民」を損なうようなものになれば、それは本末転倒であろう。そして、わが日本は、確かにこの段階に達しているのではないだろうか。そうだとすれば、もともと「足るを知る」はずのわれわれこそが、「経世済民」の新たな見取り図を示す責任があるのではないだろうか。
(京都大学名誉教授)


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