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元木 昌彦(もとき まさひこ)
編集者。1945年生まれ。「週刊現代」や「フライデー」の編集長として権力批判の誌面づくりを貫いた。メディア規制の動きに反対の論陣を張る。2006年11月、講談社を退社。オーマイニュース元社長。上智大学、明治学院大学、大正大学などで講師。インターネット報道協会代表理事。


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樋田 毅(ひだ つよし)
1952年愛知県生まれ。71年愛知県立旭丘高校卒業、76年早稲田大学第一文学部社会学科卒業。77年早稲田大学大学院文学研究科社会学コース(修士課程)に入学。78年同大学院中退。同年朝日新聞社入社。高知支局、阪神支局を経て大阪社会部へ。大阪府警担当。朝日新聞襲撃事件取材班を経て95年京都支局次長。以後、地域報道部・社会部次長などを歴任。襲撃事件の公訴時効成立後の2003年4月、和歌山総局長。その後、朝日カルチャーセンター大阪本部長等を務めた後、2012年から17年まで大阪秘書役。17年12月退社


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■元木昌彦のメディアを考える旅 243
 今月の同行者/樋田 毅 氏(ジャーナリスト・元朝日新聞記者) 


朝日新聞阪神支局襲撃事件で
「赤報隊」を追った記者魂の教え

■思いがけない朝日新聞幹部の行動も明かすドキュメント――

 1987年5月3日、午後8時15分頃、朝日新聞阪神支局が、改造した散弾銃を持ち、目出し帽をかぶった男に襲撃された。
 支局には3人の記者がいた。犯人は無言のまま、犬飼兵衛記者を撃ち、次に小尻知博記者を撃った。
 小尻記者は死亡し、犬飼記者は重傷を負った。事件後送られてきた犯行声明で「赤報隊」と名乗り、朝日の論調への強い憎悪が書き連ねてあった。
 仲間が言論テロの犠牲になった朝日では、赤報隊を捜し出す特別取材班が組織された。特別取材班は、犯人像を2つに絞り込んだ。1つは、犯行声明文にある文言を分析し、右翼思想の持ち主、それも新右翼ではないか。もう1つは、当時、「霊感商法」や「合同結婚式」などで世間を騒がせ、朝日ジャーナル誌上で批判キャンペーンをしていた新興宗教団体が、朝日と激しい緊張関係にあった。この2つに警察顔負けの徹底的な取材を続けた。
 だが、公訴時効の15年を過ぎ、30年が経った今も、犯人は特定できていない。樋田毅氏は取材班のキャップとして、記者人生の大半をこの取材に心血を注いできた。
 このほど上梓した『記者襲撃』(岩波書店)は、その執念と無念の記録である。社を離れなければ書けなかったであろう、編集幹部たちの裏切り行為にも触れている。だがそれは、朝日を貶めるためではなく、歴史的な事件を記録するうえで「書くべきだ」と判断したからだ。
 樋田氏に、朝日新聞記者の覚悟と矜持を教えてもらいに行ってきた。

            ◇

元木 私はあの事件当時、月刊現代という雑誌の編集部にいたのですが、これをニュースで知った時、なぜ朝日の阪神支局が狙われたのか、犬飼さんが最初に撃たれ、次に小尻さんが撃たれましたが、犯人は犬飼さんを狙って襲撃したのではないか、そう思いましたが、そうではないようですね。
樋田 犯人じゃないので分かりませんけれど、私が思うに、阪神支局は狙いやすかったのではないか。場所的に暗くて高速道路が近いから逃げやすい。拠点支局ですから、普段は13人ぐらいいるのですが、土曜日・日曜日・祝日の体制はだいたい3人ぐらいですから、かなり入念に下見をしていたんだと思いますね。犯行前には何度か無言電話も入っていました。
 ひょっとしたら、当時の阪神支局長の大島次郎さんが新聞労連の委員長としていろいろ政治的な問題に取り組んでおられた方なので、ある種の反感があったのかもしれないとも考えられました。そのへんのところは、今度の本では第2章で小説みたいなかたちで書かせていただきました。
元木 そこでは、60代半ばの男が指導者で、車で待っていて、30歳代半ばの男が実行犯になっていますね。
樋田 単独犯ではないと思います。

犯人に擬した
新右翼と宗教団体


元木 この事件を起こす前に、東京本社を散弾銃で撃っていますが、これには誰も気付かなかった。2つ目の犯行声明文に「だが朝日はそれを隠した」とあります。実行犯は、自分たちが本気であることを気付かせてやろうと、阪神支局が狙われた。もし、東京本社が狙われたことが騒ぎになっていれば、違う展開になっていたかもしれないですね。
樋田 あとで見てみると、窓ガラスに傷跡があったし、人もいましたから気付いてもおかしくはなかったのですが、犯人にしてみれば、銃を使った犯行なのに、全く報道されなかったのが不満だったと思います。
元木 窓ガラスにひびが入ったぐらいですから、中にいる朝日の人間を狙った犯行ではないようですが、それが次には、至近距離で2人を撃つという凶行にエスカレートするというのが、私には理解しにくい。凶行に使われた散弾銃は銃身が短く改造されていたそうですね。
樋田 火薬も未燃焼火薬が相当落ちましたから、散弾銃としての威力はだいぶ落ちていたと思います。
元木 樋田さんたち取材班は、犯人像を2つに絞った。まず、最初の犯行声明文の中に、「日本の自然を母とし、日本の伝統を父としてきた」「戦後41年間、この日本で日本が否定され続けてきた」という文言がある。そこから、右翼、それも三島由紀夫が自決した後から出てきた新右翼ではないかと考えた。もう1つは、その当時、朝日ジャーナルが批判を続けていたα教会(私はどこを指すか見当はつきますが、本では匿名)が朝日を目の敵にしていた。この2つのグループの中にいるのではないかと絞り込みますね。
樋田 3通目の犯行声明文に「反日朝日は50年前にかえれ」という言葉が出てきます。これは「南京大虐殺」が起きた年です。戦前の体制を賛美する新右翼というか右翼思想の持ち主ではないか。
元木 樋田さんは右翼を、伝統右翼、任侠右翼、論壇右翼、草の根右翼、宗教右翼に分類して、新右翼の代表的団体「一水会」は、これまでの右翼が「反共・親米」だったのに、「反米」を強調しているところが赤報隊と近いと。
樋田 いわゆる街宣車に乗って、拡声器でワーッとがなり立てている人たちは、任侠系の右翼が多い。だけど、新右翼の人たちは勉強しています。古文なんかを読んでいる人もいますし、和歌をやっている人もいる。だから、こちらも勉強して、考え方は全く違うけれども、向こうの言っていることも分かるし、こちらの言っていることも伝えられるようにしないと、話をしてくれません。

赤報隊の可能性がある
9人に会ってみた


元木 事件から十年余りたってから、警察庁が「赤報隊の可能性のある9人」をリストアップしますが、その全員が新右翼の活動家だったそうですね。
 警察と違って捜査権がない記者が、1人ひとり彼らを追って、居場所を突き止め、話をしてもらうというのは大変な作業だったと思います。その中にこれはと思う人はいましたか?
樋田 それはいましたね。九人についても、その多くの人物について会う前はそう思っていたんです。でも、実際に会って議論してみると、やっぱり違うかな、という感じの連続でした。
元木 いまだに引っ掛かっている人はいますか。
樋田 そこは難しいところですね。たとえば名前を変えて居場所も分からない人を一生懸命探します。見つける過程で、その人がいろんなものを断ち切って生きている、それこそ親兄弟とも完全に縁を切ってしまっているので、これは何かあるんだろうと思って会うわけです。
 いざ会ってみると、それなりにいろいろなことを経て生きてきた人ですから、自分の人生に区切りをつけているのです。事件に関わっているか関わってないか別にして。自分はこうやって生きてきたんだ、だけどその事件には関わってないと、いろいろな根拠を上げて言われると、そうか、そうかもしれないなというふうに、やっぱり思いますね。そういう繰り返しでした。
元木 声明文にあるような、朝日に対するものすごい恨みを抱いている人もいるのですか。
樋田 持っている人もいますし、どう言ったらいいのかな、それぞれ当たる相手によって、朝日批判の根拠はいろいろあるわけです。でも、その人の朝日新聞に対する敵意の程度が果たして人を殺すまでだろうか、という視点で見てみると、やっぱり違うなという人もいました。
 それから1つの事件だったら起こせるかもしれないけれど、連続して8件ありますから、警察の監視の目をくぐって、これだけのある種の持続力を持ち続けることが、この人に果たしてできるだろうかとか、いろんなことを思いながら取材をしていきました。
 結局、絶対この男に間違いないという人間にはたどり着かなかったですね。
(以下、本誌をご覧ください)
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