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元木昌彦(もとき まさひこ)
編集者。1945年生まれ。「週刊現代」や「フライデー」の編集長として権力批判の誌面づくりを貫いた。メディア規制の動きに反対の論陣を張る。2006年11月、講談社を退社。オーマイニュース元社長。上智大学、明治学院大学、大正大学などで講師。インターネット報道協会代表理事。


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森功(もり いさお)
1961年福岡県生まれ。岡山大学文学部卒業後、伊勢新聞社などを経て91年新潮社入社。「週刊新潮」編集次長などを務めた後2003年にノンフィクション作家として独立。2008年「月刊現代」に連載した「ヤメ検―司法に巣喰う生態系の研究」、09年「月刊現代」連載の「同和と銀行 三菱東京UFJの闇」と、2年連続で「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞作品賞」を受賞。単行本の『同和と銀行 三菱東京UFJT汚れ役Uの黒い回顧録』は第41回大宅壮一ノンフィクション賞候補作となる。その他『泥のカネ 裏金王・水谷功と権力者の饗宴』で第33回講談社ノンフィクション賞候補、『なぜ院長は「逃亡犯」にされたのか 見捨てられた原発直下「双葉病院」恐怖の7日間』で第11回新潮ドキュメント賞候補、第44回大宅壮一ノンフィクション賞候補。著書に『ヤメ検 司法エリートが私欲に転ぶとき』『黒い看護婦 福岡四人組保険金連続殺人』(以上新潮社)、『許永中 日本の闇を背負い続けた男』『サラリーマン政商 宮内義彦の光と影』(以上講談社)などがある。


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■元木昌彦のメディアを考える旅 238
 今月の同行者/森 功氏(ノンフィクション作家)


高倉健の謎に迫った労作を出版
森友・加計問題はまだまだ追及

■定評ある綿密な取材や端正な文章とT人たらしUの力

 高倉健(本名・小田剛一=オダ タケイチ)の映画で1番好きなのは『駅 STATION』だ。特に、雪に埋もれた小汚い居酒屋で、倍賞千恵子と呑みかわすシーンがいい。テレビからNHK紅白で八代亜紀が歌う『舟唄』が流れる。こんな居酒屋があったら北海道へ引っ越してもいいと思った。
 2014年11月10日に彼が亡くなって早3年近くが経つ。死後、小田貴(オダ タカ)という女性を養女にしていたことが発覚する。養女として入籍したのは2013年5月。死の1年半前のことだ。健さんが最後に愛した女性なのだろうか。
 だが、当の養女は、多くのファンの期待を裏切り、高倉健が住んだ家を壊してしまった。さらに、生前の高倉健が結婚した江利チエミとのあいだの水子を供養してきた神奈川県にある鎌倉霊園の墓を壊して更地にし、愛用してきた高級外車を売り払い、クルーザーは売却どころか解体してしまった。まるで、高倉健の生きていた証をすべて消し去るかのように。そして、今もお墓はないという。
 この謎に挑戦した労作がこの夏、講談社から刊行された。『高倉健 七つの顔を隠し続けた男』である。筆者はノンフィクション・ライターの森功氏。
 以前から、剛直なノンフィクションを書く人だと思っていたが、聞けば、高倉健と同じ福岡県立東筑高校の後輩だという。
 森氏は大学を出て、地方紙の記者などを経て「週刊新潮」編集部に入り、数々のスクープをものにしたのち、2003年に独立し、ノンフィクション・ライターとして活躍している。
 綿密な取材や端正な文章には定評があるが、彼のすごさは、難攻不落のフィクサーや事件の渦中の大物にも臆せず食らいつき、語らせる“人たらし”の力であろう。
 高倉健の養女の謎に加えて、現在ノンフィクション・ライターたちが抱えている深刻な問題について聞きに行ってきた。

            ◇

元木 私生活を見せなかった高倉健にはさまざまな「噂」がありました。彼と親しかった京都の西村泰治さん(石油会社経営)が、皆と福原のソープランドに繰り込んでも、高倉健だけは何もしなかったと話しています。高倉自身は、「名前を落としたくない」と言っていたそうですが、そういうところからゲイではないかという噂もありましたね。
 今でも根強くありますね。北陸の山城温泉だったか、映画の打ち上げで、芸者と1泊するというのを、当時は当たり前にやっていたそうですが、高倉健も一応、1晩芸者と過ごしたらしいけれど、何もしなかったみたいです。
 それに通っていたジムがチャック・ウィルソンというボディビルダーのところで、そこはわりと同性愛者が多かったらしい。そういうこともあったのでしょう。1980年頃、彼が日本にいないときに「高倉健がエイズで死んだ」という噂が流れ、本人が帰ってきて怒ったこともありました。

親族に知らせず
養女が火葬へ


元木 この本の中にも、吉永小百合や十朱幸代に惚れられても逃げ回ったという話が出てきます。美人はあまり好きじゃなかったのかな。
 基本的にそんな感じですね。亡くなってから高倉健との関係を告白した児島美ゆきも美人というタイプではないですね。
元木 結婚した江利チエミだって絶世の美女というタイプじゃない。
 どちらかというと、明るいポッチャリ型が好きみたいですね。今話題になっている養女とはタイプが違う感じがします。養女は新体操をやっていてスラッとした日本的美人ですから。
元木 高倉健は酒が飲めないという神話もあります。でも、学生時代は喧嘩と酒に明け暮れていたそうですね。
 大酒飲みだったって、本人もインタビューで話しています。だけど、『君よ憤怒の河を渉れ』のロケの時は、原田芳雄が持ってきたウイスキーを一緒に飲んでいます。
 許永中がつくった大阪国際フェリー就航の時に、韓国の釜山から高倉健が乗ってきて、韓国の俳優と一緒にビールを飲んで写真を撮らせています。だから、人前では飲まない、日本では飲まないと自分を律していたのではないかと思いますね。
元木 映画『幸福の黄色いハンカチ』の中で、網走刑務所から出てきて、大衆食堂で久しぶりにビールを飲むシーンがあります。ものすごくうまそうに飲むんですが、あれを見て、絶対に飲めないわけないと思ったね。
 彼には『あなたに褒められたくて』(集英社刊)というエッセイがありますが、母親に対する愛情や、親戚への思いやりも深い人ですね。
 家族に対する愛情や郷里に対する思い入れはすごいです。九州の甥っ子や姪っ子、妹さんの敏子さんには、しょっちゅう電話がかかってきたり、贈りものをされたり、すごい気遣いがあったそうです。
元木 毎年2月には長野の善光寺へ参拝するのが恒例で、信仰心も厚い。それなのに、高倉健が亡くなった後の養女の行動が解せません。取材するきっかけはどういうことだったんですか。
 きっかけになったのは、高倉健の従弟で元高倉プロ専務の日高康さんという人からの連絡でした。日高さんは僕の高校の先輩なんです。それまでもちょくちょく電話をくれたり、会ったりしていたんですが、高倉健が亡くなった1年後ぐらいかな、1周忌が終わった頃に、「ちょっと話があるんだ」と連絡があったんです。
 会ってみたら日高さんが「どうもおかしな状態になっている。森さん、これを取材して、どこかでまとめてくれないか」みたいな話をするわけです。それで取材を始めました。
元木 まず、高倉健が亡くなって2日後には、養女が火葬してしまう。それも実妹の敏子さんにも知らせずに。森さんの本の中で、高倉プロの秘書の電話に、親戚から電話がかってきた時に、それを知った養女が「(高倉健の死亡が)バレたわ、どうしよう」と慌てるシーンがありますね。
 高倉健の死亡を親族に隠そうとしていた。隠したまま火葬を終えようとしていたと考えられるのです。これが親族のみなさんがいちばん不思議がっていることですね。養女は健さんの死を高倉プロの専務だった日高さんには知らせましたが、実妹の敏子さんなど親族に知らせることは止められていたと言います。ところが、甥である敏子さんの息子が「伯父貴の様子が変なので日高さんに連絡してくれ」と母親に電話してきて、敏子さんが日高さんを問い詰めたら、「1昨日亡くなった」と打ち明けたというんですね。
「バレたわ、どうしよう」というのは、その確認の電話が姪から高倉プロの人間にかかってきたことを知った時のことです。
(以下、本誌をご覧ください)
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