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大型案件で勝ち続けの三菱MS


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■銀証一体ビジネス


三菱MS証券で「日本金融界の夢」を実現
M&Aで成果を実らせた三菱の証券戦略

■サントリー、電通と大型M&A案件で次々とアドバイザーの地位を勝ち取る三菱MS証券。いまや
ライバルに切歯扼腕される立場になったが、三菱の証券戦略の歴史は迷走に次ぐ迷走だった──

 昨年のサントリーホールディングスによる米ビーム買収で、サントリー側のフィナンシャル・アドバイザーに雇われたのは三菱UFJモルガン・スタンレー証券(三菱MS)だった。
 1兆6000億円のメガディールとあって三菱MSが手にするM&Aの助言手数料だけで100億円はくだらない。だが、それだけではない。三菱東京UFJ銀行はサントリーの買収資金のうち8000億円を1行単独でブリッジ融資した。M&A助言という高度で知的な投資銀行業務で手数料を稼ぎ、伝統的な大企業向け融資という商業銀行ビジネスで利ザヤを得る──。そんな「銀証」一体ビジネスが実現できたのは、三菱UFJフィナンシャル・グループが2008年のリーマン危機時、窮地にあった米モルガン・スタンレー(MS)に90億ドルを差し出し、約2割を出資することができたからである。10年には旧三菱証券と旧MSの日本法人を統合した三菱UFJモルガン・スタンレー証券が誕生。国内のM&Aの大型案件を次々に射止めるようになる。
 当然、強敵の登場をライバルは快く思わない。銀行と一体となって貸出金利を格安にする「チープ・レンディングをしているのではないか」と米投資銀行幹部。野村証券も「メーンバンクとしての優越的な地位の乱用では」と陰口を叩く。同業者に辛辣なのが投資銀行界の常とはいえ、M&A助言の業界地図が書き換えられ、これまで首位の野村やゴールドマン・サックス(GS)がすっかり後塵を拝するようになったとあっては、彼らが切歯扼腕するのも無理はない。
 サントリーとビームの件をみれば、成功の要諦は米MSと日本の「三菱」グループの緊密な連携にあったと言えるだろう。
 米MSはニューヨークをはじめ、ロンドン、パリなどに世界的なネットワークを有する。俗に「バンカー」と称されるインベストメント・バンカーは業界ごとに担当が割り振られ、各業界で世界1、2位の大手のCEOやCFOと直接コミュニケーションできることが必須の要件である。ビームが売りに出ているという情報をキャッチできた理由もそこにあった。


サントリー、電通案件で
発揮された銀証連携


 米フォーチュン・ブランズ(シカゴ)は日本にはない珍しい複合企業だ。かつてはタバコやビスケット、ウイスキー、ゴルフボールなどを有していたが、幅広い事業内容は集中さを欠く。モノ言う株主にそこが突かれやすく、ヘッジファンドが大株主に躍り出ては同社に株主還元を求めてきた。フォーチュン・ブランズは10年、傘下のウイスキー(ビーム)とゴルフボール(タイトリスト)の売却の意向を固め、そんな「売り」の情報をキャッチしたのがMSのバンカーたちだった。M&Aの世界では一般的に「売り」の情報をいち早くつかむかが勝敗を決める。
 サントリーは09〜10年にかけて三菱グループのキリンホールディングスと経営統合に向けた交渉をしたことがある。結局は破談に終わったが、キリン側アドバイザーだった三菱MSやキリンのメーンバンクの三菱には「サントリーの野心」が痛いほどわかった。ビームの噂を耳にすると早速サントリーにご注進に行き、三菱MSはサントリー側のアドバイザーの地位を射止めた。キリンとの統合交渉の際にサントリー側のアドバイザーだったGSからみれば「横取りされた」と悔しがる一件だったといえよう。
 一昨年、電通が英大手広告代理店イージス・グループを買収する際にも、同様の「銀証連携」が成果を発揮している。英イージスの大株主であるフランス企業がイージス株売却の意向があることをMSがつかみ、東京の三菱MSに話をつないだ。「もし電通が買収に名乗りをあげたら対抗的買収者は現れるか」「英当局が独禁法上の規制を許容するか」などMSの世界各地のバンカーを動員して分析。分析結果を電通側に提案してみせた。
 こんなグローバルな提案力が買われて、電通はアドバイザーに三菱MSを起用。さらにメーンバンクがみずほコーポレート銀行でありながら、三菱が買収資金の大宗を占める2000億円を1行単独で用立てている。


野村も住友も失敗の
「見果てぬ夢」を実現


 世界を股にかけて銀行と証券の一体となったビジネスを展開することを、日本の金融界は長らく夢見てきた。それを実現したのが、いち早くメガ再編したみずほでも、「向こう傷を問わない」という跳ねっかえりの住友でもなく、「鈍牛」「石橋を叩いても渡らない」とからかわれてきた三菱だった。
 米国では世界恐慌の教訓から1930年代に銀行業務と証券(投資銀行)業務を分離するグラス・スティーガル法ができ、銀証相互不可侵の業界秩序が形成されたが、クリントン政権時代の90年代後半に同法は廃止に。その前後から商業銀行の米シティグループが証券会社のソロモン・スミス・バーニーを吸収したり、スイスのクレディ・スイスが米証券会社のファースト・ボストンを買収したりするなど欧米ではメガ再編が一気に加速。もっとも、この巨大化しすぎた金融コングロマリットはリーマン危機によって再びそのありようの検証を迫られているのだが、一周遅れの日本の金融界には依然として「見果てぬ夢」であった。
 野村証券の田淵節也は90年代、いつしか米メリル・リンチと覇を競うようになりたいと夢想していたし、住友銀行の磯田一郎は米GSへ5億ドルの出資を決断した。だが野村は破綻したリーマン・ブラザーズの欧州や中近東部門を買収したものの、かつてのメリルと覇を競うどころか、高コスト体質の旧リーマンが逆にお荷物になる始末。住友も米連邦準備制度理事会(FRB)に阻まれ、GSに出資しても議決権は得られず、戦略性のまったくない純投資に終わっている。

迷走の末につかんだ
三菱MSの連携効果


 もっとも三菱の証券戦略は迷走に次ぐ迷走でもあった。東京銀行との合併を成功させた伊夫伎一雄頭取の後を継いだ岸暁頭取時代、三菱と親密だった日興証券は三菱に頭ごなしで米シティグループの実質傘下に入ることを決断。三菱の証券戦略は根底から揺らぐことになった。家族ぐるみの付き合いという伊夫伎と日興元会長の岩崎琢哉の伝手(つて)をもとに関係修復を試みたが、失敗。結局、三菱は2000年、野村証券が持て余していた系列証券の国際証券を買収し、後に三菱証券に改称して育てて行くことになる。
 旧国際証券は業界五位という準大手の規模に過ぎなかった。旧4大証券のように損失補填や総会屋利益供与事件の荒波をくぐらなかっただけ、荒削りな営業手法が温存され顧客とのトラブルが後を絶たない。損失隠し(飛ばし)できる金融商品の販売斡旋、金融監督庁の検査忌避、元本保証のない債券を「元本保証がある」として販売……。モラルハザードや法令違反が頻発し、01年までは金融当局に改善を指導されたり処分されたりしてきた。
 今世紀に入ってからの三菱の証券戦略は、こうした「負の遺産」を抱えた旧国際証券の立て直しにエネルギーを費やすことになる。兜町の問題児「国際」も、東京三菱証券、東京三菱パーソナル証券などと合併し「三菱証券」と改称すると、不思議なことだが、イメージアップにつながった。「それと同じことが三菱MSでも起きている」。そう打ち明けるのは欧州銀行の幹部である。日本ではGSやリーマンのような外資系証券会社は依然「ハゲタカ」視されるが、紳士然とした三菱の幹部行員と一緒に三菱MSが営業すると、どこの企業も門前払いはしない。三菱が構築した国内の分厚い顧客基盤にすんなり入っていける。
 巨大すぎる金融帝国が自壊するのが過去の歴史の教訓だ。いつまでも三菱が安泰とはいえないだろう。だが日本の金融界は流転の果て、ひとり三菱だけが、東京銀行、UFJ、そしてモルガン・スタンレーとM&Aの成果を享受してきたのも事実なのである。
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