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元木昌彦(もとき まさひこ) 編集者。1945年生まれ。「週刊現代」や「フライデー」の編集長として権力批判の誌面づくりを貫いた。メディア規制の動きに反対の論陣を張る。二〇〇六年十一月、講談社を退社。オフィス元木・編集者の学校主宰、オーマイニュース社長。上智・法政・大正・明治学院各大学講師。


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今月の同行者/高山俊吉氏 (たかやま しゅんきち)
弁護士 1940年東京生まれ 長野で幼少時を、東京で学生時代を過ごす。千代田区今川中学校、都立一橋高校を経て東京大学法学部卒 69年東京で弁護士活動開始。青年法律家協会議長、東京大学教養学部非常勤講師、日本民主法律家協会副理事長、交通法科学研究会事務局長、憲法と人権の日弁連をめざす会代表など歴任。東京弁護士会所属 高山法律事務所主宰
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■元木昌彦の「メディアを考える旅」(126)
 ――今月の同行者/高山俊吉氏(弁護士)

全政党・新聞が揃って推進する
裁判員制度は権力翼賛システム

■司法への動員はやがて徴兵制につながる?

「裁判官のお弁当」という優れたテレビドキュメンタリーの中で、現職裁判官がこう語るシーンがある。
「検察が有罪を立証できているか、検察が出してくる証拠でしか認定できないから、(無罪にできる)とっかかりがないと、おそらく有罪にしてしまう。裁判で真実が解明されると考えるのは買いかぶりすぎだ」
 推定無罪の原則はどこかに忘れ去られ、この国の刑事裁判の有罪率は99.9%にもなっている。
 しかし、来年から裁判員制度が始まれば、取り調べの可視化や証拠の全面開示、裁判のスピード化が進むと喧伝されている。そして、三権分立の中で唯一、専門家に任されてきた司法への国民参加が実現するのだから、裁判員に選ばれたら、よほどのことがない限り辞退してはいけない。裁判の過程で知ったことは死ぬまでしゃべってはいけない。報道する側は、裁判員に予断を与える報道はしてはいけないという国になるのだ。
 突然に発表され、国民の80%がなりたくないといっている、この不思議な裁判員制度に隠された本当の意図は何なのか。
 2006年9月、いち早く「裁判員制度はいらない」(講談社刊)を書いて、この制度の危うさについて警鐘を鳴らしている高山俊吉弁護士は、これは国民の司法への参加などではなく、司法への動員だという。現代の赤紙であり、一部の識者が指摘している「やがて徴兵制へとつながる」という分析は的を射ていると語る。
 このインタビューが、厳しいメディア規制も内包する裁判員制度について考える一助になれば幸甚である。
               ◇
元木 岩波の雑誌「世界」の6月号と7月号で裁判員制度特集をやっていましたが、どちらかというと賛成論でしたね。
高山 朝日新聞社も「論座」の座談会(07年10月号)に代表されるように、裁判員制度を推進する立場に立っています。政治的に見ても自民党から共産党まで全党一致です。労働組合では連合が推進していますし、日弁連も激烈な論争があったとはいえ、現在の執行部は推進する立場に立っています。
元木 「世界」で刑事法の専門家である一橋大学教授の後藤昭さんが、「忘れてはならないのは、人がいかに国家の干渉を嫌っても、国家は必ず人に干渉し、その行動を規制するということである。国家は法によって人の行動に干渉し、被告人や証人として裁判所に強制的に連れ出す。人はそれから逃げることはできない」という言い方をしています。決まったことなんだから、もうお前たち、ブツブツ言うんじゃないという論理です。
高山 近代刑事法の体系は、犯罪の真相は人権を侵害しない形で究明しなければいけないという大原理に基づいています。権力は暴走し、悪を犯すという、権力に対するペシミズムを基底に置いて考える立場といえます。ということは、刑事法を専門とする研究者なら、国家権力に対して最も抵抗的でなければいけない人です。国が決めたのだから、どうあれこうなるんだぞなどと言うのは、国家による人民統制刑法への踏み外しだと思います。
 しかも、後藤さんは、日本も陪審制へ進むべきだと主張していた学者のはずです。

裁判官との同席より
監視こそ司法参加


 アメリカの修正憲法は、被告人は陪審による裁判を受ける権利を持つという言葉を使っていますね。抵抗権、武器を持つ権利も認めていますが、それはアメリカが独立戦争の中でイギリスと戦い、つまり国家と戦って到達した、国に対する基本的な権利なのです。国は悪を犯す。人民はそのような国に抵抗できる。そういう原理を謳い上げる中に陪審制度があり、抵抗権があり、武器を持つ権利もある。
 法ができてしまった以上、人民は国家に対して何も言えないのだというのは、陪審の思想の対極にある論理です。後藤さんに対して、私が一番言いたいのは、刑事法の学者として恥ずかしくないかということです。
元木 裁判員制度を推進する人たちの中に、これまで司法というのは、国民が関与できなかった。国民主権が実現されるんだから、国民は進んでこれに参加すべきだという論調があります。
高山 私は、まったくそうは思わないですね。その考え方はまやかしです。司法に関する国民主権というのは、悪を犯す国をたしなめ、是正することにおいてのみ意味を持ちます。それは、裁判のあり方に対する厳しい批判であり、批判に対して謙虚な司法という構図がなければいけない。裁判官が座る法壇に国民が一緒に座って、裁判官の真似事をやるということでは決してありません。裁判官のやっていることが間違っていないかどうか監視して、問題があれば批判、指摘、弾劾、告発する。そういう形で関わりを持つこと、これが本当の市民の司法参加です。
元木 なぜ、国民の知らないとこで裁判員制度が突然のように出てきたのですか。
高山 2001年に司法制度改革審議会が小泉内閣に意見書を出しました。その審議会の審議終盤、第4コーナーぐらいのところで、突然、裁判員制度が出てきたのでした。陪審でも参審でもない妥協の産物として裁判員制度をつくったと言われています。しかし、裁判員法立案に至る過程の論議をずうっと見ていきますと、「妥協の産物」という評価は正しくない。政府・最高裁は、裁判員制度という仕組みの持つ特異な権力翼賛システムとしての妙味を、積極的に認めるようになっていったのだと思います。以前は、最高裁は、市民が参加すると誤判が生まれる、市民の事実認定能力は高くないと言っていました。裁判員に評決権を与えないとか、極力裁判員の数を少なくしようとも言っていました。
 しかし、結局裁判員を6人にまですることに応じた。それを受け入れた最高裁の論理は、裁判官3人で裁判員6人を説得できると考えるに至ったということです。裁判官が裁判員に負けないとすれば、この制度にはたいへんな御利益がある。まず、国民に司法学習をさせることができる。次に、裁判官がやっていることを目の当たりにさせて、自分もこの人たちと一緒にものを考えようという意識を持たせることができる。
 みんなが治安に不安を感じている時代に、自分自身が進んでこの社会を守ろうと考える格好の機会にしたいと考えたのです。佐藤優さん(24ページ参照)が「強い国家なら、裁判員制度を必要としない」とおっしゃっていますけど、その通りでしょう。この国が今、途方もなく脆弱になったから裁判員制度を必要とするようになったと言えると思います。

陪審員は辞退も可能
量刑にも関与しない


元木 陪審制度と裁判員制度の違いはどこですか。
高山 2つの制度はまったく別のものです。
 裁判員は裁判官と一緒に仕事をさせられます。年間10万件ぐらいの法廷のうちの重要事件約3000件について審理を担当させられます。多数決で結論を出し、量刑にも関与させられます。それも超短期で判決をくださなくてはいけない。単純多数決で量刑にも関与するので、不合理なことが出てきます。例えば、無罪に手を挙げた人も、有罪に決まったら、量刑の意見を言わなくてはいけないのです。
 しかも裁判員が参加するのは1審のみですから、判決に納得しない検察官が控訴すれば、職業裁判官だけの控訴審が1審判決をひっくり返してしまうこともある。
 陪審制では、陪審方式でいくか職業裁判官の裁判でいくかを被告人が選択できます。また、陪審員の辞退も事実上、広範に了解されています。
 アメリカで有名になった殺人事件の陪審裁判ですが、元アメリカンフットボールの人気選手だったO・J・シンプソンは、陪審を取るかどうか一時迷ったという話もあります。被告人が選択できるのです。また、法律には陪審員は自由に辞退できるとは書いてないけれど、実際には辞退する人がとても多い。O・J・シンプソンの裁判では、辞退した人が実に1000人もいた。裁判の期間も、O・J・シンプソンは10カ月、マイケル・ジャクソンは3カ月近くかかっています。
 陪審制度で12人の陪審員は、被告人の前に立つ盾なんです。この12人が、有罪を求める検察官の「攻撃」を受けて、あなたの説得力は圧倒的だと12人みんなが認めたら、私たちの仕事は終わったと言って、さっと帰る。1人でも納得しなかったら、説得力不足という理由で有罪判決は取れないことになる。だから、ここには基本的に多数決という論理が登場する余地がないのです。また、当然のことながら陪審員は量刑に関与しません。
 裁判員が量刑に関与するということは、裁判官の横に並び、裁判官と同列の人になるということです。そこが決定的に違います。

治安維持の責任者だと
国民を自覚させる制度


元木 住基ネットから個人情報保護法への流れで、メディア規制強化が行われてきました。裁判員制度が始まると、最高裁から、裁判員に予断を与えるような事件報道は自粛してくれと言われたら、新聞協会はいち早く、「自主規制します」と発表してしまいましたね。 
高山 予断を与えちゃいけないって、そんな偉そうなことを最高裁は言えるのかと、まず思います。裁判所に任せておけば冤罪は起きなかったか、死刑台から生還した人が何人いると思っているのか。最高裁はそれらのすべてに関与している。そのことを忘れたのか。痛みはないのか。
 しかし、ここにきて少しメディアの論調が変わってきたなと思います。「読売新聞」は昨秋、社説で、実施まで1年半は短すぎないかと書きました。「北海道新聞」は延期せよと言いました。「朝日新聞」は今でも旗を振っていますけど、「産経新聞」や「日経新聞」も、どちらかと言えば実施に消極的、もしくは懐疑的と言ってよいでしょう。
元木 国民の八〇%の人たちが、「なぜ私たちを呼びだして、来なければ処罰するなんて言うのか、変ですねえ」と思っています。「変ですねえ」の言葉に表されているように、みんなが勉強し始めています。
(以下、本誌をご覧ください)
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