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元木昌彦(もときまさひこ)氏。
講談社の雑誌「週刊現代」や「フライデー」の編集 長として反権力を鮮明にした誌面づくりで部数を伸ばした。オンライン雑誌「Web 現代」を企画・育成後、同社関係会社の三推社専務に。強まるメディア規制の動きに 反対し論陣を張る。
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今月の同行者/加藤昭(かとうあきら)氏 (ジャーナリスト)
1944年静岡県生まれ 立教大学経済学部中退 在学中から大宅壮一に師事 大森実主 宰の東京オブザーバー紙で取材活動を始める 以後雑誌を舞台にスクープを続けて活 躍 平成6年小林峻一氏との共著『闇の男 野坂参三の100年』で第25回大宅壮一ノ ンフィクション賞を受賞
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元木昌彦のメディアを考える旅54
執念の徹底取材で鈴木宗男を追及
権力と緊張関係を保ちつつ監視する
■日本には珍しいマフィア型政治家で日本にとって危険な人間──


 田中真紀子まで議員辞職してしまった。鈴木宗男に始まった政界激震劇は五人の議 員が”カネ”の問題で辞職した。「変態」とまで書かれた山崎拓は幹事長としては死 に体同然となった。恐るべきは雑誌の力である。小泉内閣が成立させると豪語してい た個人情報保護法案も有事法制も、次から次に出てくる議員たちのスキャンダルへの 対応に追われて、次の臨時国会に持ち越しになってしまった。
 永田町のすねに傷を持つ議員たちは、雑誌やフリーのライターたちの首根っこを押 さえつけることができる個人情報保護法案を成立させておけばよかったと臍をかんで いるに違いない。
 今回インタビューしたジャーナリスト・加藤昭氏は、徹底した取材をすることで有 名なライターだ。加藤氏は鈴木宗男を追いかける理由を、「彼は日本には珍しいマ フィア型政治家だ。日本にとって危険な人間だ」と思ったからだとしている。まず は、徹底した執念の調査報道で鈴木宗男の疑惑を追及してきた裏話から聞いた。



元木 ついに鈴木宗男を追いつめました。ここまでやったのは、立花隆さんの「田中 金脈研究」以来ですね。
加藤 いやいや、時間と金ばかり使って出版社には文句言われてます(笑)。
元木 鈴木宗男を追いかけるきっかけになったのは、中川一郎(元農相。1983年1月 9日、札幌市内のホテルで死亡。首吊り自殺とされている)の「怪死」からだとお書 きになっています。あの事件は大変ショッキングだったし、謎も多い。これまでも 色々な憶測があったけれど、加藤さんはどう思っていますか?
加藤 中川の死は自殺じゃないんじゃないかと思いだしたのは、1997年8月のソ連の クーデターを取材した頃からです。エリツィンが大統領になったとき、旧ソ連共産党 の悪事を暴露するために1年間だけ当時の極秘文書を公開した。KGBの報告書が一 番多いんですが、対日関係の書類だけでも300万件もあって、私は、11人のロシア人 スタッフを使って日共とソ連が水面下で何を話してきたか議事録を探した。その中に 中川の死に関する重要書類が隠されていた。そこには「中川は殺された」と記されて いる。ビックリして、「この中川、鈴木という名前が出ている書類を全部ピックアッ プしてくれ」と指示した。2人の名前が出てくるだけでも積み上げたら1メートル近 く集まり、全部翻訳するのに1年半くらいかかった。その中の、83年1月14日、つま り中川の死の5日後に東京のソ連大使館からモスクワに宛てたKGBの暗号電報に、 元テレビ朝日専務の三浦甲子二(故人)の話として「中川は明らかに他殺だ。CIA の手先に消された」とあった。三浦は当時ソ連のエージェントで、その功績でモスク ワ・オリンピック独占中継の権利を得た人物です。
元木 そのKGBの報告書に鈴木っていう名前は出てるんですね?
加藤 もちろん出てる。「鈴木はCIAと結託して中川を収賄疑惑に引き込んだ」と いう記述もある。それ見た時は、「ホンマかいな?」と思った。
元木 他殺説は当時の雑誌でも書かれましたが、決め手がなかった。
加藤 その翻訳電文を読んでいくと、これは「なるほど、あり得る」と。当時のブレ ジネフ体制下で、中川をリクルートするのがソ連の対日政策の最重要課題だった。つ まり日米離反工作のため、傀儡政権の樹立を図るというのが狙いです。その工作を やった中心人物がイワン・イワノビッチ・コワレンコという、対日工作の総帥です。

■鈴木が中川から離れて金丸に駆け込んだ理由

元木 どうやって接触したんですか?
加藤 82年9月10日夜、三浦がセットして、赤坂の大乃という料亭で中川とコワレン コが四時間、密談をおこなった。中川が本当に握手できる相手かどうかの確認です。 そのとき中川はリップサービスもあってソ連との軍事同盟の話までもち出している。 コワレンコは中川と話した内容をその日のうちにモスクワへ暗号電報にして打つんで すが、それがCIAに抜かれるわけです。私はワシントンへ行ってCIAにそのこと を確認した。もちろん、抜いたなんて言わない。だけど、そういう報告があがってい たということを口頭では認めた。
元木 中川はソ連寄りの危険な人物であると?
加藤 そうです。その後、総裁予備選があったのが82年11月24日で、26日に中曽根康 弘は組閣している。組閣後に中曽根が、「中川君、ご苦労さんでした。僕はソウルに 行かなきゃならないので、君にアメリカへ先乗りしてもらいたい」と伝えるんです。 それで中川は大喜びで、「俺も中曽根の名代でアメリカへ行けるんだから総裁選へ出 た甲斐があった」と帰りに秘書に漏らしてる。それですぐ後藤田(正晴・官房長官) を通じてアメリカ大使館に「中川が訪米する。時期は1月20日前後」ということを 伝えた。ところが、1月4日前後になって後藤田のところに「中川は受け入れられな い」という返事が来る。自民党の大物の政治家で総裁選にも出た男をペルソナ・ノン ・グラータ(好ましからざる人物)という具体的な表現で拒否した。これはテロリス トなどの入国を拒否する時の表現です。中川は非常にショックだったと思います。
元木 暗号電報を抜いたとしか考えようがない?
加藤 そうです。ここから鈴木の疑惑に近づいていくんですが、コワレンコの暗号電 報でブレジネフが、中川は合格だ、彼を親ソ政権の首班にしようと決定した。で、コ ワレンコに、彼を具体的にリクルートするプランを作成させた。当時、日ソ間のサケ ・マス漁獲高交渉はモスクワと東京で1年おきにおこなわれていたが、そこで決定し た割当量(クォータ)に25%を上乗せして中川に与える、という驚くべき決定がおこ なわれる。
元木 大変な利権ですね。
加藤 それどころじゃない。次の利権は、埋蔵量1兆円のサハリン原油採掘権を与え るというものです。後にそれを三井物産の熊谷(直彦・元社長)がモスクワ訪問して 契約する。三井と鈴木の関係はここから始まっている。今のディーゼル発電疑惑なん て小さな問題じゃない。ところが、決定した直後に中川が死んで、ソ連の野望は潰れ た。

(以下、本誌をご覧ください)

 
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